スタッフブログ

梅雨らしい日が続きますね。
晴れの国・岡山も今日はしっとり雨です。

先日梅雨の合間の晴れの日にコタンとワッカファーム共同運営の「瀬戸内湊梅園」のお手伝いに行って参りました!

瀬戸内湊梅園は高台にあり、広い空と岡山の町を見下ろすことのできるとても気持ちの良い場所です。

この日は梅干にする加工用の小梅の収穫でした◎

メインで梅園の管理と梅干作りを担ってくれてるコタンの加工部門toita(トイタ)の仲間と
ご近所に住む方もお手伝いに来て下さり、共に色んなおしゃべりをしながら楽しく収穫作業。

時間や手間はかかるけど、同じ経験を共有する時間って良いですね。
個人的にみんなで作業をする事が好きなので、やっぱり好きだなぁ~楽しいなぁ~と改めて思いました◎

下草がいい塩梅で刈られフカフカした良い土壌を足元に感じながら広い梅園を散策。

今回皆様にお届けする「自然栽培 青梅」もすくすく育ってましたよ~(^^)

ネットショップ限定販売の「コタンの自然栽培 青梅」はまだ購入可能です!

農薬・化学肥料完全不使用!
晴れの国・岡山の太陽をたっぷり浴び気持ちのよい高台で育った瀬戸内湊梅園の青梅。
大地のエネルギーが詰まっています◎

数量限定ですのでお早めに!

自然栽培 青梅(瀬戸内湊梅園) 2kg

画像を押すと販売ページに飛びます。

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スタッフの一人は瀬戸内湊梅園の小梅で「梅肉エキス」を作ったとの事!

青梅でしか作れない梅肉エキス。

腹痛、二日酔い、夏バテ、免疫を高め、健康維持などに効くと言われる昔ながらの万能薬です。

【梅肉エキス】の作り方

◆材料◆
青梅2kg

1.青梅をすりおろす。(酸に強い据え置き型の陶器がおすすめ)
 実を回転させながら種ギリギリまですりおろす。
 実を包丁でそいでフードプロセッサーで細かくする方法もあります。

2.すりおろした梅の実と果汁を布巾で絞る。
 実がスカスカになるくらい。残りカスは梅ジャムに出来ます♪
 おろし終わった種の周りにも果汁があるので種も寄せ集めて布巾で絞る。

3.ホーロー鍋や土鍋などの酸に強い鍋で煮る。(1~2時間程度)
 とろみがついてきたら焦げないよう混ぜながら煮る。

4.水分がなくなり黒くドロッとしたら完成!

5.保存容器に詰めて冷暗所に保存。

  

2kgの梅から80gほどしかできない貴重な梅肉エキス。

使用する時は耳かきサイズのスプーン1杯が目安。
梅の成分が凝縮されとても酸っぱいので、飲み物に溶くと飲みやすいですよ◎

昔は日常のお薬として使用されてた梅肉エキス。
先人の知恵の賜物です◎

店舗でも毎年大量の青梅を購入される方がおられます。

「青梅の時期になると毎年梅肉エキスを作るの。
 作るのは大変だけどね、毎年のことだからもう習慣になってるのよ」と、にっこり。

青梅を収穫し梅肉エキスを作る。
日々の健康を保つ、昔ながらの自然と人の営み。

人間の技をもって自然の元気をもらう事。

自然と人は繋がっているんだなと改めて感じるエピソードです◎

青梅は、梅肉エキスの他に梅酒、梅ジュース、梅シロップなど。。

フレッシュで爽やかな酸味が美味しい青梅◎

皆さまも、自然の恵みをたくさん頂いてくださいね(^^)

 

2016年11月17日
小豆島へコタンのルーツを巡る旅へ

まずはマルキン醤油さんの工場と記念館を見学して現代と江戸時代の醤油づくりの様子、流れをおおまかに頭に入れて、準備万端!

最初の目的地はヤマヒサさん!
四代目の勝久さんにお話を伺いました。

そもそも何故小豆島が日本の5大産地に数えられるほど醤油づくりが盛んになったかというと、諸説あるようですがそのうちの3つを教えていただきました。
まず1つ、弥生時代から塩づくりの島であったが江戸時代あたりから塩があまりはじめ、次第に醤油やそうめんに加工して売るようになった。
2つ目に醤油づくりの原料である大豆は九州から、小麦は瀬戸内から採れたので材料が集まりやすかった。
そして3つ目に江戸時代の輸送には主に船が使われていて、海に囲まれた小豆島が材料を集めるのにも、作ったものを輸出するのにも便利なのは言うまでもなく、当時は高価な船を造るのが規制されていたので島伝いに移動するしかなかった。そこで小豆島が停泊するのに丁度よかった。
という理由があるようです。

小豆島の歴史を簡単に説明してもらった後にいよいよヤマヒサさんの蔵に案内してもらいました。


今まさに仕込み中の醤油が杉樽に入って所狭しと並べてあります。


これはまだ若いもので、丸大豆の形が残ってます。


蔵の壁や柱に何百年もかけて住み着いた菌達が杉樽にうつり、その働きによって蔵毎の味が出来上がる。


蔵の中にはいろいろな時期に仕込まれた醤油がありますが、長く置けばおくほどうまくなるかといえばそうでもなく、ある一定の期間を過ぎると旨味が菌に食べられてしまうそうです。

このあと消毒のために火入れという工程があるのですが実は醤油の中では悪い菌は増えることができないので消毒をする必要はないのですが、火を入れることによって風味が増したり特有の味が引き出せるからあえてそうするようです。

いまの日本の仕組みだと自分たちの蔵で醤油を仕込まずにどこかの蔵から仕込まれた醤油を仕入れて火入れと濾過だけすれば「うちの醤油です!」と名乗れるようで、小豆島で仕込まれた醤油だけど他県で火入れしてその土地のものとして扱われることもあるようで…。

そんな醤油業界の裏事情まで教えてくださったヤマヒサさんを後にして次に向かうは平井さんの製麺所。


丁度平井さんがそうめんを伸ばしてました。


今や遅しと伸ばされるのを待ってます。




たくみな手さばきで伸ばされていきます。


そうめんに胡麻油が塗ってあるのでいい香りが漂っています。


そうめんのカーテンが出来上がりました。

お昼ご飯はみんなで持ち寄ったおかずと平井さんのそうめんを大きな土鍋で釜揚げそうめんにして頂きました。
これがもう抜群に美味しい。そうめんはもう夏だけの食べ物ではありません。

ご飯の後に平井さんにお話を伺いました。
本当にそうめんが好きで、あらゆることを試して常に最高のものを作り出そうとする。
そうめん協会に入ってそうめんを作っている時期もありましたが、協会に居ては自分の作りたいそうめんがつくれないということで協会をやめて自分で製麺所を始めました。
何よりも自分の仕事が好きで、だから毎日楽しい、こんなに恵まれていることはない。
と終始笑顔で話してくれました。
そんな平井さん、無類の動物好きで特に鳩には熱い。
人間のように言葉がしゃべれないからしっかりと様子を見て感じないといけない。
でもしゃべれない分人間のようにうそはつけない。

そうめんの話と鳩の話、どちらの話をしている時も楽しそうに話している平井さんのそうめんには信頼感があります。

そしていよいよ最後の目的地ヤマロク醤油さんへ

案内していただいたの
は5代目の山本康夫さん。


ヤマロク醤油さんはすべての醤油が杉樽で仕込まれています。
しかし現在全国の醤油屋さんで杉樽を使って仕込んでいるのは全体の1%程しかありません。
なぜここまで減ってしまったのかというと、そもそもとても高価な杉樽はお金に余裕のある酒屋さんが最初に買って20年ほどつかったおさがりを醤油屋さんや、味噌屋さんが
100年ほどつかってその後漬物屋さんへ…という流れがありました。
しかし酒屋さんがステンレスのタンクを使い始めたことにより杉樽の需要がなくなり、次第に杉樽を作る人も居なくなって醤油屋さんも金属製のタンクに変わっていきました。
しかし金属のタンクには菌が住み着かず添加せざるをえなくなりました。
それでも味が足りないので様々な添加物をいれているのが当たり前になっています。

日本食というものが世界的に注目されているなかでその根幹をなす醤油という調味料が近い将来、杉樽が無くなることによって全く味わいの違うものになってしまう可能性があるのです。

今小豆島には日本中にある杉樽の1/3~半分があります。
しかしその杉樽も使える年数には限度があるので桶屋さんが無くなってしまえば次の世代に繋げることはできません。
そこで康夫さんは杉樽を作る人がいなくなるなら自分たちで作ってしまおう!と決めたのです。
まずは今残っている最後の桶屋さんに杉樽を発注しました。
当時(2009年)その桶屋さんに「醤油屋に杉樽を頼まれたのは戦後初だ」と言われたそうです。
そしてその自分たちが発注した杉樽を作るところから参加して作り方を一から学びました。
醤油屋さんが桶屋さんに修行に行ったのです。

これで自分たちで杉樽が作れるようになりました。
しかしそれだけでは杉樽で仕込む醤油を将来に残すことはできないので、全国の醤油屋さんに杉樽を広めることにしました。
杉樽を1つ作るのに約200万円かかり時間を要する杉樽仕込みの醤油ではその元を取るのに90~100年かかります。
それでは醤油屋さんに浸透するはずもありません。
そこで康夫さんは10年で200万円を償却できる仕組みもセットにして杉樽を広めていったのです。
その仕組みとはメディアを積極的に活用することでした。
そうして全国の醤油屋さんでの杉樽の使用率を1%から2%へ引き上げて、少ないパイを奪い合うのではなくまずベースを広げる。そして競い合うのは品質で。
県外から来られた方にはその人の地元で杉樽を使って作っている醤油屋さんを紹介するそうです。そうしてその醤油屋さんで直売で買ってもらう。
それが一番その醬油屋さんにとって利益率がいいから。

そうすれば何世代にもわたって伝統的な調味料である醤油の味が守られる。
全ての行動がこの思いに繋がっていてとても説得力がありました。


みなさん忙しい中丁寧にたっぷり時間をとってお話をしていただいて本当にありがとうございました!!

みのり

お買い物はこちらから

3月3日 くもり ひな祭り研修

お店の定休日を利用して、岡山県瀬戸内市長船町にある名刀味噌本舗さんへスタッフ一同お邪魔してきました。

作業場に入った第一印象。 前にお伺いした時にも感じましたが、建物に入ると心なしか背筋がスッと伸びる。それは、長い年月を物語る古い建物の佇まいがそうさせたのか、それとも蔵付きの菌たちによるものなのかはわかりませんが、とにかく身は引き締まる。そしてこの感覚は、小豆島ヤマロク醤油さんの醤油蔵に入った時にも、同様に感じたことでもありました。

コタン一行を迎えてくださったのは、二代目宣隆さんと三代目の隆平さんと陽平さん。
創業者の初代喜久郎さんは戦後、地元の醤油工場で勤めていて、当時は醤油が飛ぶように売れたそうです。しかし、時代が安定するにつれ大手メーカーの製品に押されて工場は閉鎖してしまう。そこで、醤油工場で身につけた技術をもとに、こうじ屋さんを創業したのが名刀味噌本舗さんの始まりとのことでした。
当時は各家庭がこうじ屋さんに自分とこのお米を持ち込み、麹にしてもらったものでお味噌をつくるのがポピュラーだったとのことでした。なんて豊かで素敵な時代だったのだろう。そして、長船では、昔から醤油を足したひしお麹、甘酒、夏場につくるひなた味噌が良く食べられていたそうです。そこで、初代喜久郎さんは日持ちせず扱いが難しい麹を乾燥させ、誰でも気軽に使える乾燥麹を試行錯誤のうえ開発したそうです。なんと、乾燥麹を商品化させたのは、名刀味噌本舗さんが最初。そしてちょうどその頃、マクロビを推奨する方の目にとまり、健康食品として、乾燥麹が広まっていったそうです。なんやかんやを入れて量産する業者もいる中、名刀味噌ではもちろん、創業から添加物は一度も使ってないよと力強く教えて貰ったところで、お話は二代目から三代目隆平さんへバトンタッチ。

隆平さんには、実際に麹を作っている作業場を見せてもらいました。麹をつくる箱は約2m四方高さ50cmほどの箱の中で作られています。

その日は残念ながら、仕込み中の麹はなかったので見ることができませんでしたが、目には見えてないけどいい仕事をしてくれている蔵付きの菌たちのただならぬ気配だけは、感じることができました。
(下2枚の写真は以前お邪魔したときのもの)


箱の下には、乾燥させるために温かい空気をおくる年代物の送風機が取り付けられていました。ボイラーの熱量を調整するのもさじ加減ひとつ手動のバルブ。ここには一切デジタル化されたものはなく、作業は全て手作業職人の手の感覚で行われているとのことでした。

先ほど、二代目の話にもでてきた各家庭からお米がもちこまれるのことが、普通だったとありましたが、最近になってその数が増えてきたそうです。そのタイミングを聞いたところ、やはり3.11後から。かなり遠方からも依頼が来ているので大忙しだそうです。さらに続けて『納豆はタブーですか?』と、私のありきたりな質問に、『ここにいてくれている菌たちはとても安定しているので、ちょっとやそっとじゃ負けないから大丈夫!だけど、やっぱりいつのまにか食べないようにはしているんですよ。好きなんですけどね・・』と隆平さん。
ここでも、職人さんのこだわりをキラリ発見しました。

そして最後にお話を伺ったのは、とても良い感じに馴染んだ寺田本家の前掛けをしていた陽平さん。
醸造学を学び、外に出て幅広い分野での醸造を身につけ、最近戻ってこられた陽平さん。そして、ここで陽平さんが戻られてから商品化されるという、まさにちょうど仕込まれていた塩麹をスタッフみんなで味見させて貰いました。一瞬の間を置き・・スタッフ一同驚愕!!!!これはっ別格!!!!!今まで自分で作っていた塩麹はなんだったんだろ。塩分が少なく直接スプーンでなめることができる塩麹。名刀味噌さんの塩分濃度は5%、一般に市販されている塩麹は倍以上であるし、旨みの濃さが全く違う!!!長年の蔵付きの菌がいる作業場で発酵を知り尽くしたお三方が織り成す醸しの技!!まさにここに見たり!!です。すいません興奮しました。でも本当に格別にうまい。しかも、加熱処理をしていないので、麹本来が持っている酵素を生きたまま体へ取り入れることができます。なので商品名は、『生塩麴』。洋平さんのお話によるとどうやら、乳酸菌がポイントとのことだそうです。ちょうど最近異なる分野の醗酵のプロからも、乳酸菌がキモだよ・乳酸菌の時代だよと聞いたばかりだったので、妙に一人大納得。ガッテンボタン押しまくりでした。乳酸発酵により雑菌から食品を守る効果があり、植物性乳酸菌は日本人の体質に合っていて整腸作用がが期待できるといわれています。

陽平さんが戻ってきてくれたから、最高の商品が作ることができたと弟の隆平さん。それを、本当に嬉しそうに黙って聞いている二代目宣隆さん。こんなにも、それぞれの仕事に誇りをもって、お互いを尊敬しあえる家族ってそうはない。名刀味噌本舗さんのおいしさの1番の秘密はこれだと、確信した名刀味噌本舗さんでの研修でした。

宣隆さん陽平さん隆平さん 貴重なお話と時間
ありがとうございました。
今度は初代喜久郎さんにもお会いしたいなぁと思いながら作業場を後にするとすぐ、長船の春を見つけました。

staff 又