TAG CLOUD

ココから始まったコタン・・・。
 13年前 コタンを始める一番最初に出会った調味料。その小豆島への醤油探しの旅はそれからの物探しの視点に大きなきっかけを与えてくれました。
 小豆島は昔からの醤油どころで、島の東南には醤油屋さんが沢山あり今でも醤油がたくさん作られています。一日のうちに何件も醤油屋さんを回るとその製法の違い、それが影響する味の違いがより理解できたと思います。すごく大きな醤油工場では、脱脂加工大豆(余計な油を化学分解したもの)を使い、温度管理されたタンクであっという間の2,3か月で醤油を作っています。魔法です。 一方昔ながらの製法で杉樽に国産丸大豆と国産小麦に麹をうったもろみを仕込み、もろみ蔵に棲む酵母菌と乳酸菌の自然な働きで2年近くかけてじっくり作っている醤油屋さんもいくつかあります。 その中でも最後に訪れたヤマロク醤油。家族3人で醤油を作っているその蔵は現代の工場とは真逆の愛着が目に見えるような場所。お話を聞いていると良い味を保つのも、科学的な分析はおまけ程度でほとんど長年の勘。少人数小規模だからできる味というものを見せていただいたようです。
 コタンで今でももっともファンの多い調味料の一つです。


13年のお付き合いですが、変わらない何世代もの先を見た行動。醤油屋さんのやる範囲をとっくに超えて今でも最前線で醤油を作っています。
そして何年か前から杉樽も作っている。写真はお父さんですが、現在代表の康夫さんが初めてあったときに「杉樽がなくなったら醤油づくりが終わるんです」と危機感と持って言っていたことを自ら作るという形で実行しているその姿に身が引き締まります。すごいです。
 



   ヤマロクの再仕込み醤油 「鶴醤(つるびしお)」

 北海道産小麦、天日塩、そして北陸産の丸大豆を砕かず丸のまま使い、もろみ蔵に棲む菌の働きでじっくり気長に醤油にします。鶴醤は「再仕込み醤油」。「再仕込み」とは、杉樽で2,3年醗酵させ、すでに醤油として出来上がったものにさらに麹を仕込んで2年醗酵させたものです。
 
通常の濃い口しょうゆより香りも味も豊か、特にうまみが素晴らしいです。食卓のかけ醤油に言うことなしのコタンの定番!!!
 コタンでは量り売りをしています。

2016年11月17日
小豆島へコタンのルーツを巡る旅へ

まずはマルキン醤油さんの工場と記念館を見学して現代と江戸時代の醤油づくりの様子、流れをおおまかに頭に入れて、準備万端!

最初の目的地はヤマヒサさん!
四代目の勝久さんにお話を伺いました。

そもそも何故小豆島が日本の5大産地に数えられるほど醤油づくりが盛んになったかというと、諸説あるようですがそのうちの3つを教えていただきました。
まず1つ、弥生時代から塩づくりの島であったが江戸時代あたりから塩があまりはじめ、次第に醤油やそうめんに加工して売るようになった。
2つ目に醤油づくりの原料である大豆は九州から、小麦は瀬戸内から採れたので材料が集まりやすかった。
そして3つ目に江戸時代の輸送には主に船が使われていて、海に囲まれた小豆島が材料を集めるのにも、作ったものを輸出するのにも便利なのは言うまでもなく、当時は高価な船を造るのが規制されていたので島伝いに移動するしかなかった。そこで小豆島が停泊するのに丁度よかった。
という理由があるようです。

小豆島の歴史を簡単に説明してもらった後にいよいよヤマヒサさんの蔵に案内してもらいました。


今まさに仕込み中の醤油が杉樽に入って所狭しと並べてあります。


これはまだ若いもので、丸大豆の形が残ってます。


蔵の壁や柱に何百年もかけて住み着いた菌達が杉樽にうつり、その働きによって蔵毎の味が出来上がる。


蔵の中にはいろいろな時期に仕込まれた醤油がありますが、長く置けばおくほどうまくなるかといえばそうでもなく、ある一定の期間を過ぎると旨味が菌に食べられてしまうそうです。

このあと消毒のために火入れという工程があるのですが実は醤油の中では悪い菌は増えることができないので消毒をする必要はないのですが、火を入れることによって風味が増したり特有の味が引き出せるからあえてそうするようです。

いまの日本の仕組みだと自分たちの蔵で醤油を仕込まずにどこかの蔵から仕込まれた醤油を仕入れて火入れと濾過だけすれば「うちの醤油です!」と名乗れるようで、小豆島で仕込まれた醤油だけど他県で火入れしてその土地のものとして扱われることもあるようで…。

そんな醤油業界の裏事情まで教えてくださったヤマヒサさんを後にして次に向かうは平井さんの製麺所。


丁度平井さんがそうめんを伸ばしてました。


今や遅しと伸ばされるのを待ってます。




たくみな手さばきで伸ばされていきます。


そうめんに胡麻油が塗ってあるのでいい香りが漂っています。


そうめんのカーテンが出来上がりました。

お昼ご飯はみんなで持ち寄ったおかずと平井さんのそうめんを大きな土鍋で釜揚げそうめんにして頂きました。
これがもう抜群に美味しい。そうめんはもう夏だけの食べ物ではありません。

ご飯の後に平井さんにお話を伺いました。
本当にそうめんが好きで、あらゆることを試して常に最高のものを作り出そうとする。
そうめん協会に入ってそうめんを作っている時期もありましたが、協会に居ては自分の作りたいそうめんがつくれないということで協会をやめて自分で製麺所を始めました。
何よりも自分の仕事が好きで、だから毎日楽しい、こんなに恵まれていることはない。
と終始笑顔で話してくれました。
そんな平井さん、無類の動物好きで特に鳩には熱い。
人間のように言葉がしゃべれないからしっかりと様子を見て感じないといけない。
でもしゃべれない分人間のようにうそはつけない。

そうめんの話と鳩の話、どちらの話をしている時も楽しそうに話している平井さんのそうめんには信頼感があります。

そしていよいよ最後の目的地ヤマロク醤油さんへ

案内していただいたの
は5代目の山本康夫さん。


ヤマロク醤油さんはすべての醤油が杉樽で仕込まれています。
しかし現在全国の醤油屋さんで杉樽を使って仕込んでいるのは全体の1%程しかありません。
なぜここまで減ってしまったのかというと、そもそもとても高価な杉樽はお金に余裕のある酒屋さんが最初に買って20年ほどつかったおさがりを醤油屋さんや、味噌屋さんが
100年ほどつかってその後漬物屋さんへ…という流れがありました。
しかし酒屋さんがステンレスのタンクを使い始めたことにより杉樽の需要がなくなり、次第に杉樽を作る人も居なくなって醤油屋さんも金属製のタンクに変わっていきました。
しかし金属のタンクには菌が住み着かず添加せざるをえなくなりました。
それでも味が足りないので様々な添加物をいれているのが当たり前になっています。

日本食というものが世界的に注目されているなかでその根幹をなす醤油という調味料が近い将来、杉樽が無くなることによって全く味わいの違うものになってしまう可能性があるのです。

今小豆島には日本中にある杉樽の1/3~半分があります。
しかしその杉樽も使える年数には限度があるので桶屋さんが無くなってしまえば次の世代に繋げることはできません。
そこで康夫さんは杉樽を作る人がいなくなるなら自分たちで作ってしまおう!と決めたのです。
まずは今残っている最後の桶屋さんに杉樽を発注しました。
当時(2009年)その桶屋さんに「醤油屋に杉樽を頼まれたのは戦後初だ」と言われたそうです。
そしてその自分たちが発注した杉樽を作るところから参加して作り方を一から学びました。
醤油屋さんが桶屋さんに修行に行ったのです。

これで自分たちで杉樽が作れるようになりました。
しかしそれだけでは杉樽で仕込む醤油を将来に残すことはできないので、全国の醤油屋さんに杉樽を広めることにしました。
杉樽を1つ作るのに約200万円かかり時間を要する杉樽仕込みの醤油ではその元を取るのに90~100年かかります。
それでは醤油屋さんに浸透するはずもありません。
そこで康夫さんは10年で200万円を償却できる仕組みもセットにして杉樽を広めていったのです。
その仕組みとはメディアを積極的に活用することでした。
そうして全国の醤油屋さんでの杉樽の使用率を1%から2%へ引き上げて、少ないパイを奪い合うのではなくまずベースを広げる。そして競い合うのは品質で。
県外から来られた方にはその人の地元で杉樽を使って作っている醤油屋さんを紹介するそうです。そうしてその醤油屋さんで直売で買ってもらう。
それが一番その醬油屋さんにとって利益率がいいから。

そうすれば何世代にもわたって伝統的な調味料である醤油の味が守られる。
全ての行動がこの思いに繋がっていてとても説得力がありました。


みなさん忙しい中丁寧にたっぷり時間をとってお話をしていただいて本当にありがとうございました!!

みのり

お買い物はこちらから