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 デリーから日本に帰るため、ダラムシャラを発つ直前の1時間少々。2年前の広島でのダライラマの法要にもジャーナリストとして同行、今年の春にダラムシャラでチベタンオリンピックを開催したロブサンさんとお話した。
 
 「チベットの事は、本や映像で少し理解しました。チベット人としてジャーナリストとして深く客観的にかかわってきて、現在のチベットの状況、そして未来をどう考えていますか?」

ロブサンさん「チベット人のおかれている状態を、分かりやすく言えば、刑務所の中にいる様な状態です。自由がないのです。私たちはあなたの国がやっているように、自分たちの自治、教育、経済活動、そしてスポーツがしたい。2年前に広島に行った時も、私は自由にパスポートを取ることができません。そのためジャーナリストビザという方法で同行したんです。」

ロブサンさん「チベットにとって大きな問題は3点あります。ひとつは、中国のチベット自治区は現在チベット人よりも漢民族の人口の方が多くなっています。ある期間に1000人の漢民族がチベットにはいって来て、100人しか出ていって無い割合で増え続けています。そこでの経済活動はすでに中国語が主で、中国語が話せないチベット人は必然的にその活動には参加できません。
 二つ目は、中国政府によってチベット自治区の資源、主に金などの鉱山資源、そして木が採取され、大規模に自然破壊がおこなわれています。
 三つ目は、一つ目とも重なりますが、社会活動するにはチベット語よりも中国語が必要な環境、そして信仰も自由に出来ないその中でチベットの生きた文化というものは急速に失われていっています。
 わたしも、ここインドではヒンドゥー語、英語をしゃべる機会の方が多いので自分でも驚くほど年々チベット語を失っていっています。
 20年後には、チベット文化というものは消えてしまいます。今のダライラマ14世が亡くなるという事もそれを決定的にするでしょう。」

 文化的侵略。50年以上もの間、相当強引に進められてきた暴力。でも、いまもなお完全に消えること無くなんとか保っているチベットの心。その強さは、偶像でも本の中でもない実際に同じ肉体をもって生きているダライラマを活仏(神様)とする、その現実感にあるのだろうと思う。その強靭な心は中国にとって大きな脅威でありつづけたのでしょう。
 チベットが民芸品などその形だけを残した観光物、また博物館で恭しく見せられるものになる前に出来ることが中国にもアメリカにも日本にもあると思う。

 侵略を好まない、足るを知る民族、自然と共生する民族。アメリカのインディアンにしろ、北海道のアイヌ民族にしろそのほとんどが淘汰されてきた。大昔から続いているその下剋上。その闘争の遺伝子の先端に僕らは居るのだろう。 でもその遺伝子の中には自然と共生してきた知恵も多く残っているはず。最先端の遺伝子工学でも、人類の起源は同じものであり、人種、民族による差は、遺伝子の中ではないといってよいほどの差だという。人類みな兄弟は、科学的にもスタンダードな常識になっている。

 この旅でチベット問題に少しふれることで感じたことは、日本も同じような環境でもあるということ。チベットは鮮明な文化的侵略を受け、その形も問題もビビットで見えやすいが故に運動にもなりやすい。何が悪いか、こういう侵略を受けているというのが体で感じれる。だから対象をとらえやすい。
 その文化的侵略という意味では、日本だってズタズタに侵略されたんだ。というか受け入れた。自分たちでやってきた農業を手放し、輸入品を買わされ、それほど日本人の体に合わない牛乳を毎日毎日給食で飲み、ほんとうの祭りは無くなり、張りぼての娯楽にあふれ、食品にしても道具にしても、文化と呼べるそれらは主流じゃなくなった。
 しかも、見た目便利なシステム、道具によって、文化が侵略されている、心が無くなっているなんてことに気付きにくい。対象が見えにくい。自分がどこに立ってんのかさえ。

ロブサンさん「変わるのはいいんです。そりゃ変ります。使う道具だって変わる。携帯だってもつし、英語だって喋ります。重要なのは軸となる心が変わらないということです。」

 チベット問題を知ることは、チベットのことだけを理解するだけでなく、たくさんの身近な事にもきづかさせられる。それがチベット問題の意味となる。
 

           コタンでは、トプテンさんより譲ってもらった

            ドキュメンタリー映画  「チベットチベット」

       を 8月9日(土曜)の夜7時から、上映しようと思っています。

                       無料です。

                   
                      ~作品内容~

在日コリアン3世の旅人、キム・スンヨン(金昇龍)はビデオカメラを片手に行く先を決めない旅に出る。路線をアジアに向け辿り着いた地、北インドのダラムサラ。そこは地元のインド人と亡命してきたチベット人が共生する一見静かな街だった。彼はここで、自らは望まず移住して異国で暮らす人々と出会う。

最初はインドで暮らすチベット人と在日の間に小さな共通点を見つけていた。しかし浮かび上がってきたのは今なお続くチベット人の受難の経緯だった。今になっても雪のヒマラヤを歩いて越えて来るチベット人亡命者の数は後を絶たない。

「彼らが命がけで守ろうとしているものは一体何なんだろう?
おじいちゃんやおばあちゃんが僕に言いつづけた民族の誇りというものなんだろうか?」

混乱と衝動に突き動かされチベット人の現状を撮影し始める。この問題を少しでも多くの人に伝えたい。その思いはチベット亡命政府にも届き、ダライラマ14世への10日間に及ぶ同行取材をも可能にした。旅は続き、彼らが切望して止まない本当のチベット(現中華人民共和国、チベット自治区)を訪れ、失われゆく高度な精神文化や美しいを自然をカメラに納める。

ノンフィクションロードムービー『チベットチベット』は、このふたつのチベットの狭間で素朴に生きる人たちに焦点を合わせ、今現在も強硬に続けられている、中国のチベット政策
に疑問を投げかけるドキュメンタリーである。

「チベットについての情報はとても少なく、規制されたりもしています。この映画はチベットを知る大きな経験となると思います。北京オリンピックの始まるこの時期に触れてみてください。お待ちしています。」      シネマ・コタン

 ダラムシャラを歩いていて、目に入るチベット社会。目にうつるその生活がどう成り立っているのかが、まずの疑問でそれらをダラムシャラに来て18年になるトプテンさんに聞いた。
 
トプテンさん 「ほんの少し前まで赤い衣をまとった僧が前を通ると、通り過ぎるまで頭を下げるというような感じでしたが、今はこのような感じです。昔とはだいぶ風紀は乱れています。」
 街を歩くチベット僧を見ていると、携帯で若者らしくしゃべっている人やカフェでカフェラテを楽しむ人、僧というよりも学生という印象が強い。
  
                   トプテンさんに聞く。

「このインドの土地でチベット亡命政府のチベット人に対してのきまりや法律はありますか?」

トプテンさん「あります」

「規則があるということは、それを守らなかった人に対する何か罰もあるということですよね?」

トプテンさん「どういう意味ですか?」

「たとえば、きまりを破った人をある期間拘束するとか、日本ではそのような刑罰のもっとも重いものは死刑です。」

トプテンさん (あわてるように)「ないない。そんなのはないです。ありえないです。」

トプテンさん「チベット政府の裁判所があり、チベット政府内で解決できるものはそこで解決します。殺人とか、そんな大きい事が起こればもうそれはインド政府がすぐ来ますから。そちらになるでしょう。でも僕が18年ここにいてそのような大きい事件はないです。」

死刑なんてありえないです。とんでもない、という具合に否定したトプテンさんの態度に、まだ息づいているチベット社会の剛健な道徳観を感じました。個人が人を殺すという手段を選ぶ事があるかもしれないが、国がそれをするということはありえないという感じ。

 日本では現在でも死刑がおこなわれている。現在の鳩山法務大臣は去年の福田内閣発足の再任以来13人の死刑を執行している。異例のスピード。 道路工事の年末調整でもするかのような決定。 日本人みんな自分の国で死刑がおこなわれていることは知っていても、完全にその環境とは隔離された見えない見せない場所で生活している。
 その見えないというのがやっかいだ。見えなくともこの社会環境のつながりにそれはあり、その波長の中に暮らしていることには変わりわない。
 死刑が犯罪抑止力になるというのは今や科学的にも根拠のない幻想で、逆に死刑を望むための凶悪犯罪もおこったりしている。
 ある人が言った、「国が人を殺さないというところから、その心が広がり、道徳心が育つんです。」という意見には本当にそうだろうと思う。
 トプテンさんの中にあるチベットの心が「国が人殺しなんてありえないですよ」と言った。
それは国の心が人の心を育てた具体的な形にも見えた。

 死刑廃止とか存置という論議の前に、それが実際あるということを知ること体感すること。活字の中にではなく、この環境のつながりのなかに生々しくあるということ。
 先進国と言われる国の中で死刑を行っているのは日本とアメリカだけです。
EUにおいては、加盟国の条件として死刑廃止があるほどで、死刑があるということはどうやら当たり前のことではないみたいです。
 
 あたりまえ、当然、しかたない、で思考をやめずに知っていくことは大事だし、楽しい。

もうちょっとお話しさせて・・     明日に続く・・・

 先月末に帰って来たインドの旅。その最後に訪れたのが北インドの山中にあるダラムシャラ。
そこはインドで2番目に雨の多い場所。滞在したのは1週間と短かったけど、変わりやすい天気とやまない雨、(雨が多いからだろう、集落から集落への道はコンクリートか、しっかりと石を組んで作られているため、雨でも歩きやすい。)そのためインドではじめて傘を買う。

 ダラムシャラを初めて訪れて、驚いたのは思った以上にツーリスティックな環境だったこと。たくさんのツーリストは、多くが長期滞在し、ヨガやレイキ、楽器や語学、仏教、と様々な習いをしている。お店で食べた食事もツーリスト向けレストランだけでなく、ローカル食堂もほかの土地のそれより(都会的に?)洗練されていて、インドではじめてエスプレッソマシーンで入れたコーヒーも飲めた。ぅまい。
 
 ダラムシャラの大きな特徴は、ダライラマ14世を中心とするチベット亡命政府があること。ダライラマ14世は、50年まえに現在中国の領土となっているヒマラヤのチベット国から、インドのここにヒマラヤを越え亡命した。その後、多くのチベット人が亡命。現在も多くの人がヒマラヤを越えこの地にやってくる。
 町を歩いても多くのチベット人、チベット僧がいるインド国内のリトルチベット。

 中国政府の行った同化政策によって、多くのチベット人が虐殺され、そしてその文化的侵略によってチベット人による自治、教育、信仰ができなくなる環境に追い込まれています。自分が初めてチベット問題ということを意識したのは、10年以上前に、ある音楽誌で見たBeastie Boysのアダム・ヤウクの提唱で行われたチベタン・フリーダム・コンサートの記事を読んだのが初めてだったと思う。 当時めちゃかっこよくてワクワクさせられた、そうそうたるミュージシャンが「FREE TIBET」のもとに集まりライブや講演をし、その収益でチャリティーをするというイベントだったと思う。 当時あこがれのミュージシャンを介し、まともに影響を受け、チベットに対する少しの知識は得たとは思うけど、日常生活で情報や体感が少なかったその問題は体を離れ考えにくい問題となっていきました。

 でも今回の旅では、実際にチベット人が住んでいる場所、問題と対面している場所、に身をおき、チベット人のテンジン・トプテンさん、そしてジャーナリストで今年の5月にダラムサラでのチベタンオリンピックを主催したロブサンさんと短い時間だったけど話もでき、問題を少し体で感じれました。 

 そこでした話は・・。 つづきは明日にします。