お知らせ

 ダラムシャラを歩いていて、目に入るチベット社会。目にうつるその生活がどう成り立っているのかが、まずの疑問でそれらをダラムシャラに来て18年になるトプテンさんに聞いた。
 
トプテンさん 「ほんの少し前まで赤い衣をまとった僧が前を通ると、通り過ぎるまで頭を下げるというような感じでしたが、今はこのような感じです。昔とはだいぶ風紀は乱れています。」
 街を歩くチベット僧を見ていると、携帯で若者らしくしゃべっている人やカフェでカフェラテを楽しむ人、僧というよりも学生という印象が強い。
  
                   トプテンさんに聞く。

「このインドの土地でチベット亡命政府のチベット人に対してのきまりや法律はありますか?」

トプテンさん「あります」

「規則があるということは、それを守らなかった人に対する何か罰もあるということですよね?」

トプテンさん「どういう意味ですか?」

「たとえば、きまりを破った人をある期間拘束するとか、日本ではそのような刑罰のもっとも重いものは死刑です。」

トプテンさん (あわてるように)「ないない。そんなのはないです。ありえないです。」

トプテンさん「チベット政府の裁判所があり、チベット政府内で解決できるものはそこで解決します。殺人とか、そんな大きい事が起こればもうそれはインド政府がすぐ来ますから。そちらになるでしょう。でも僕が18年ここにいてそのような大きい事件はないです。」

死刑なんてありえないです。とんでもない、という具合に否定したトプテンさんの態度に、まだ息づいているチベット社会の剛健な道徳観を感じました。個人が人を殺すという手段を選ぶ事があるかもしれないが、国がそれをするということはありえないという感じ。

 日本では現在でも死刑がおこなわれている。現在の鳩山法務大臣は去年の福田内閣発足の再任以来13人の死刑を執行している。異例のスピード。 道路工事の年末調整でもするかのような決定。 日本人みんな自分の国で死刑がおこなわれていることは知っていても、完全にその環境とは隔離された見えない見せない場所で生活している。
 その見えないというのがやっかいだ。見えなくともこの社会環境のつながりにそれはあり、その波長の中に暮らしていることには変わりわない。
 死刑が犯罪抑止力になるというのは今や科学的にも根拠のない幻想で、逆に死刑を望むための凶悪犯罪もおこったりしている。
 ある人が言った、「国が人を殺さないというところから、その心が広がり、道徳心が育つんです。」という意見には本当にそうだろうと思う。
 トプテンさんの中にあるチベットの心が「国が人殺しなんてありえないですよ」と言った。
それは国の心が人の心を育てた具体的な形にも見えた。

 死刑廃止とか存置という論議の前に、それが実際あるということを知ること体感すること。活字の中にではなく、この環境のつながりのなかに生々しくあるということ。
 先進国と言われる国の中で死刑を行っているのは日本とアメリカだけです。
EUにおいては、加盟国の条件として死刑廃止があるほどで、死刑があるということはどうやら当たり前のことではないみたいです。
 
 あたりまえ、当然、しかたない、で思考をやめずに知っていくことは大事だし、楽しい。

もうちょっとお話しさせて・・     明日に続く・・・

 先月末に帰って来たインドの旅。その最後に訪れたのが北インドの山中にあるダラムシャラ。
そこはインドで2番目に雨の多い場所。滞在したのは1週間と短かったけど、変わりやすい天気とやまない雨、(雨が多いからだろう、集落から集落への道はコンクリートか、しっかりと石を組んで作られているため、雨でも歩きやすい。)そのためインドではじめて傘を買う。

 ダラムシャラを初めて訪れて、驚いたのは思った以上にツーリスティックな環境だったこと。たくさんのツーリストは、多くが長期滞在し、ヨガやレイキ、楽器や語学、仏教、と様々な習いをしている。お店で食べた食事もツーリスト向けレストランだけでなく、ローカル食堂もほかの土地のそれより(都会的に?)洗練されていて、インドではじめてエスプレッソマシーンで入れたコーヒーも飲めた。ぅまい。
 
 ダラムシャラの大きな特徴は、ダライラマ14世を中心とするチベット亡命政府があること。ダライラマ14世は、50年まえに現在中国の領土となっているヒマラヤのチベット国から、インドのここにヒマラヤを越え亡命した。その後、多くのチベット人が亡命。現在も多くの人がヒマラヤを越えこの地にやってくる。
 町を歩いても多くのチベット人、チベット僧がいるインド国内のリトルチベット。

 中国政府の行った同化政策によって、多くのチベット人が虐殺され、そしてその文化的侵略によってチベット人による自治、教育、信仰ができなくなる環境に追い込まれています。自分が初めてチベット問題ということを意識したのは、10年以上前に、ある音楽誌で見たBeastie Boysのアダム・ヤウクの提唱で行われたチベタン・フリーダム・コンサートの記事を読んだのが初めてだったと思う。 当時めちゃかっこよくてワクワクさせられた、そうそうたるミュージシャンが「FREE TIBET」のもとに集まりライブや講演をし、その収益でチャリティーをするというイベントだったと思う。 当時あこがれのミュージシャンを介し、まともに影響を受け、チベットに対する少しの知識は得たとは思うけど、日常生活で情報や体感が少なかったその問題は体を離れ考えにくい問題となっていきました。

 でも今回の旅では、実際にチベット人が住んでいる場所、問題と対面している場所、に身をおき、チベット人のテンジン・トプテンさん、そしてジャーナリストで今年の5月にダラムサラでのチベタンオリンピックを主催したロブサンさんと短い時間だったけど話もでき、問題を少し体で感じれました。 

 そこでした話は・・。 つづきは明日にします。

 一ヶ月半のインド歩きから、帰って来て10日がたちます。7年前に3か月ほど、インドに出かけ帰って来た時は、行く前の自分の立ち位置を確認できないほどに影響と啓蒙を身につけて帰って来たのですが(働くまでにだいぶかかりました)、今回はコタンというお店をやっている自分という立ち位置も一緒に連れて行ったためか、無理なく日常に着陸したように思います。
 
 7年前とほとんど変わっていないインド、すごく変わったインド。7年ぶりに突然訪ねた北インドの谷に棲むローカルの家族。家も暮らしも人もほとんど何も変わっていない。変わったのは、テレビと携帯電話が加わっていること。手仕事の畑、牛、ロバなど動物たちとの生活、機織り、そこにポンっとケータイ電話。ケータイの普及速度はスゴイですね。どんな小さな毛細血管にも入り込んで行ってしまう勢いを感じました。とても暮らしが便利になりますからね。でも便利=幸せではないんで、便利すぎる道具は道具としての位置づけがより重要になってきますね。

 それでもインドは豊かに見えた。全体のご機嫌度が暑い国ということを差し引いても、明らかに高いです。グジャラートの中くらいの町にいた時には、毎日お祭りのようでした。生き生きしています。インドはインドで、問題はたくさんあると思います。(カースト、貧富格差、ゴミ問題などなど)。でも、町にはインド製品のもの、土地の食べ物が溢れ、大企業が独占供給しているものより、手作りの物であふれています。見ること、食べることがホントに楽しかった。実際の数字はしらないけど、明らかに日本より自己生産している街の活気です。
 日本はその自給率が異常に低い国です。それは生命感の低い国。自殺率NO1なのも当然ですね。 日本はついこの間までは、完全に自給し、その中で芸能、音楽などを楽しんでいました。それがあっという間にやり方を変え、手放し、まったく違う形でバランスをとる国になっています。インドには、マホトマ・ガンジーが先導し、自己生産を通した運動でイギリス体制より独立したという歴史があり、その未来である現在、田舎の商店のおじさんとしゃべっても、自己生産しているという価値観に誇りを持っているのが、会話から感じられます。 
 
               土地の物を食べる。自然な食事の基本。
自分たちの食べ物を自分たちの土地で作っているというのが、その土地の生命感の骨の部分だと思います。骨が無いのに、遊びだ、娯楽だと肉をつけても、浪費するだけ。
 骨のしっかりある環境。その余裕の中で芸事は、心は育つようです。純粋な遊び。

 やっぱり食べる物、食環境がとても大事という、鮮明になったにせよ、変わらない立ち位置で学南町に立っているインド帰り10日目の日本人より。