2008.07.26

   チベット問題。日本問題。   ~その1~

 先月末に帰って来たインドの旅。その最後に訪れたのが北インドの山中にあるダラムシャラ。
そこはインドで2番目に雨の多い場所。滞在したのは1週間と短かったけど、変わりやすい天気とやまない雨、(雨が多いからだろう、集落から集落への道はコンクリートか、しっかりと石を組んで作られているため、雨でも歩きやすい。)そのためインドではじめて傘を買う。

 ダラムシャラを初めて訪れて、驚いたのは思った以上にツーリスティックな環境だったこと。たくさんのツーリストは、多くが長期滞在し、ヨガやレイキ、楽器や語学、仏教、と様々な習いをしている。お店で食べた食事もツーリスト向けレストランだけでなく、ローカル食堂もほかの土地のそれより(都会的に?)洗練されていて、インドではじめてエスプレッソマシーンで入れたコーヒーも飲めた。ぅまい。
 
 ダラムシャラの大きな特徴は、ダライラマ14世を中心とするチベット亡命政府があること。ダライラマ14世は、50年まえに現在中国の領土となっているヒマラヤのチベット国から、インドのここにヒマラヤを越え亡命した。その後、多くのチベット人が亡命。現在も多くの人がヒマラヤを越えこの地にやってくる。
 町を歩いても多くのチベット人、チベット僧がいるインド国内のリトルチベット。

 中国政府の行った同化政策によって、多くのチベット人が虐殺され、そしてその文化的侵略によってチベット人による自治、教育、信仰ができなくなる環境に追い込まれています。自分が初めてチベット問題ということを意識したのは、10年以上前に、ある音楽誌で見たBeastie Boysのアダム・ヤウクの提唱で行われたチベタン・フリーダム・コンサートの記事を読んだのが初めてだったと思う。 当時めちゃかっこよくてワクワクさせられた、そうそうたるミュージシャンが「FREE TIBET」のもとに集まりライブや講演をし、その収益でチャリティーをするというイベントだったと思う。 当時あこがれのミュージシャンを介し、まともに影響を受け、チベットに対する少しの知識は得たとは思うけど、日常生活で情報や体感が少なかったその問題は体を離れ考えにくい問題となっていきました。

 でも今回の旅では、実際にチベット人が住んでいる場所、問題と対面している場所、に身をおき、チベット人のテンジン・トプテンさん、そしてジャーナリストで今年の5月にダラムサラでのチベタンオリンピックを主催したロブサンさんと短い時間だったけど話もでき、問題を少し体で感じれました。 

 そこでした話は・・。 つづきは明日にします。