一ヶ月半のインド歩きから、帰って来て10日がたちます。7年前に3か月ほど、インドに出かけ帰って来た時は、行く前の自分の立ち位置を確認できないほどに影響と啓蒙を身につけて帰って来たのですが(働くまでにだいぶかかりました)、今回はコタンというお店をやっている自分という立ち位置も一緒に連れて行ったためか、無理なく日常に着陸したように思います。
7年前とほとんど変わっていないインド、すごく変わったインド。7年ぶりに突然訪ねた北インドの谷に棲むローカルの家族。家も暮らしも人もほとんど何も変わっていない。変わったのは、テレビと携帯電話が加わっていること。手仕事の畑、牛、ロバなど動物たちとの生活、機織り、そこにポンっとケータイ電話。ケータイの普及速度はスゴイですね。どんな小さな毛細血管にも入り込んで行ってしまう勢いを感じました。とても暮らしが便利になりますからね。でも便利=幸せではないんで、便利すぎる道具は道具としての位置づけがより重要になってきますね。
それでもインドは豊かに見えた。全体のご機嫌度が暑い国ということを差し引いても、明らかに高いです。グジャラートの中くらいの町にいた時には、毎日お祭りのようでした。生き生きしています。インドはインドで、問題はたくさんあると思います。(カースト、貧富格差、ゴミ問題などなど)。でも、町にはインド製品のもの、土地の食べ物が溢れ、大企業が独占供給しているものより、手作りの物であふれています。見ること、食べることがホントに楽しかった。実際の数字はしらないけど、明らかに日本より自己生産している街の活気です。
日本はその自給率が異常に低い国です。それは生命感の低い国。自殺率NO1なのも当然ですね。 日本はついこの間までは、完全に自給し、その中で芸能、音楽などを楽しんでいました。それがあっという間にやり方を変え、手放し、まったく違う形でバランスをとる国になっています。インドには、マホトマ・ガンジーが先導し、自己生産を通した運動でイギリス体制より独立したという歴史があり、その未来である現在、田舎の商店のおじさんとしゃべっても、自己生産しているという価値観に誇りを持っているのが、会話から感じられます。
土地の物を食べる。自然な食事の基本。
自分たちの食べ物を自分たちの土地で作っているというのが、その土地の生命感の骨の部分だと思います。骨が無いのに、遊びだ、娯楽だと肉をつけても、浪費するだけ。
骨のしっかりある環境。その余裕の中で芸事は、心は育つようです。純粋な遊び。
やっぱり食べる物、食環境がとても大事という、鮮明になったにせよ、変わらない立ち位置で学南町に立っているインド帰り10日目の日本人より。