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2025.05.01

STAFFコラム5月

コタンとThe MARKET のスタッフが毎月持ち回りで執筆しているコラム記事。

今月の担当は、コタンと「自然食さしすせそ」さんが牛窓で共同運営している食料品店「みなとマート」の藤田真。

お店のリニューアルにあたって、床板から商品棚、月刊誌まで手作りしてくれた藤田くん。

お店の主役は商品達ですが、内装や什器のひとつひとつにも、想いとこだわりが詰まっています。

みなとマートがリニューアルしてそろそろ1ヶ月。

什器や看板も少しずつですが増えてきました。

それらは主に、家を解体して出た廃材や、使用していない古い道具を使って手作りしています。

カウンターの天板は古い家の床材を削りなおして、電飾看板は使わなくなった曲木の“ふるい”を使って、それぞれ作りました。

凝ったデザインも細かい仕事もしていませんが、自分で作った愛着のあるものたちです。

廃材や古材を使うのは新材よりもコストがかからず手に入りやすいからという、とても単純な理由です。

乾燥していて加工後も収縮しにくいこと以外には、これといって素材としてのメリットがあるわけではありません。

廃材は大きさや材質も不揃いで、もう一本同じ形の材が欲しいと思っても、新材のようにホームセンターに買いに行くというわけにはいきません。

割れがあったり歪みがあったり、虫に食われていたり傷がついていたり。

中には釘やビスが刺さったままのものもあって、材料として使う以前に手間のかかる素材です。

ただ、古い木材は、なにか自分がものを作る理由のようなものを与えてくれるような気がして気に入っています。

遠く海外から輸入されたきれいな木材を、美しい、かっこいい「とされる」形に加工して販売する。

それはそれでとても魅力的で素敵な世界なのですが、どこか自分の生活の規模感にあっていないように感じてしまいます。

自分の小さな身体に対して、あまりに遠く離れた物質やイメージを扱っているようなこころ細さがあるのです。

その点、廃材や古材は長年誰かの住まいや道具として機能してきたという文脈があります。

作り変えることは、わずかな時間かもしれないけれど、それらを延命させる行為です。それは焼却されるよりはおそらく良い選択なはず。

その感覚があるので安心してものを作ることができています。

もう一つ、自分で作ったものは自分で壊すことができます。

いかに丈夫に長く使えるかに心血が注がれがちなものづくりの分野ですが、意図せずものが壊れてしまうことよりも、それらを自分の手で修理できず、放置するほかないことの方がよほど恐ろしく感じられます。

自分で作ったものならその心配はありません。

壊れれば繕って、それもできなければ小さく小さく分解して、いざとなれば土に返すことだってできるでしょう。

それはちょうど家が解体されて一本の角材に戻り、それが棚やテーブルに形を変えることの延長にある作用です。

「壊せる」というのは、逆説的ではありますが、ものを作るものの責任かもしれません。

自分が作るものなら、出どころとこれからの行先がわかっていたほうがよい。

その出口と入口がつながっていればとてもうれしい。

そしてその円環は、できれば自分の目と手の届く範囲でめぐってほしいと思うのです。