前の晩は、コタンから帰ってから、皆で歩く明日の準備。
100%が80%、60%、40%・・出かける頃には雨は上がった祝いの日。
母なる人に見守られ
想いは、音になり、シャボンになり
そこには、あきらめなかった人、あきらめない人、あきらめられなかった人
振り返ると 500人
ゴンもチャーもみなと歩くの楽しそうで、ずんずん歩く
家で踊り、畑で踊り、この日実った「アロハでハイロ」ひとつ
北からの声のように聞こえた、うまちゃんの三味線
とてつもなく大きな事故になって、ようやく公共意識の水面まで顔をだした原子力。それを通してはっきり見えるこじれた仕組み、こじれた心、こじれた関係。でもこれは社会の問題ではなく、まずは個人の問題、自分の場所で自分のレベルで実感できるかどうか。それはすべての生き物が実感できるはずのいろはのい。
種や言葉、スタイルや考え方や、好みを超えて共有できる生物いろはのい。
必ず届くと確信している。信じている。あきらめきれない。