昨日は、西大寺会陽、はだか祭が西大寺観音院で行われました。
自分も今年三回目の参加。ことしは会陽500周年という節目とともに、宝木(しんぎ)の投下が深夜0時から2時間はやくなって、夜10時の投下に。今年はコタン閉店とともに急いで会場に向かう。
毎年出させてもらっている野村組の集まり場、野村帽子店につくとちょうどその2階で男がまわしをつけ始めたところ。さっそく、はだかになり一気に境内に向かう。みなでワッショの掛け声とともにはだかしか入れない奥に奥に・・神聖な場所に向かうあの時間はたまらない。
真ん中の前方で、投下を待ち、投下後の境内下の本宝木の取り合いの渦の中心にそのにおひを便りに行っては見たものの、超猛者らが地面に這いつくばる中心でつぶされ臨死体験的に脱出。
その後ご宝木は2本とも納められたとのアナウンスが会場に流れ、仲間を見つけ一緒に野村組の寄り場に帰る。その興奮と今年も何とか無事に帰れたという安堵感の中、おふろで体を流し2階で服に着替え終わったときに、「野村組から出たはだかがご宝木をいただいた」と誰かが伝えにくる。野村組の大将らは、すぐに着替えたばかりの服からまわしに再度衣変え、1階に降りるととったその人が野村に集まっている女衆に囲まれヒーローインタビュー。ほんとにすごいことだ。
とった飯田さんは姫路の人で、友達に誘われて初めて参加したそうだ。聞くと、境内下の渦の中で「落ちてたから拾った」ということ。本宝木を本気でとりに行く組は、チームで練習をかせね、いろんなテクニックと経験ですごい圧力でとりにいく。その中でとるというのは、自分の経験からは100%不可能じゃないかと思っていた。しかもとってその匂いのする本宝木を懐にひそめ、1本の道を出て商工会議所まで行くというのも、どうやって出たらいいのか、途方もないことのように感じていた。それが、「落ちてたから拾った」。と。
本宝木は2本で、もう一本は3年連続とっている組で、その大勢が這えるように膝にサポーターをしている、完全にはだか祭アスリートチームといった組だ。そのチーム力、経験、3年連続という結果はそれもまたほんとにすごい。
そんなアスリートの中でも、0.01%の縁が秒単位でつながり合わさるとご宝木がとれるということに世界の神秘を集約して感じた。毎日、あたりまえと思っている日常とは、奇跡の連続な(奇跡しかない)のだということにあらためてピントが合う。
野村組で、福男とともにセレモニーの行われる会場まで練り歩く。
はだか祭によって毎年感じさせられてきた「縁」というつながり。今年は本当に強くそれを感じた年になりました。今年の福男のおふたり、本当におめでとうございました。一緒のとこから出た人が福男になったという縁で、今年は容量いっぱい胸一杯の御福頂戴いたしました。