先月の上旬、2日とれた休みを利用して、以前から行ってみたかった、山口県上関町の瀬戸内海に浮かぶ祝島に行ってきた。
前日のコタン閉店後出発、その夜は山口県に入ったところで深夜になり、車を止めて休んだ。
次の朝、まるで祝っているような光が射し、つぎつぎとはじめての景色が目にとまる。
海岸を走っていても、海がきれいでタビタビ立ち止まる。外海のようなきれいさだ。
そのきれいな海とは対称的な問題がここにはある。上関原発。
上関町の半島の先、田の浦の海岸に原子力発電所を作る計画がもう30年近くも前からあり、反対派推進派に分かれ長い間、建設の是非をめぐって対立している。その田の浦から見えるすぐそこの祝島。現在人口五百人のその島は、漁業とびわやミカンなどの農業で暮らしている。そしてそこの住民のほとんどが30年近く原発に反対する姿勢を貫き、自分たちの生活を守るために建設阻止の行動を続けている。
建設予定地の田の浦の海岸に立ってみると、祝島がなかったら、祝島の人たちの豊かさがなかったら、ここにはもうとっくに原子力発電所がたっているだろうと感じた。
遠くのことでもなく瀬戸内でつながるすぐとなりのことなのにほとんどなにも知らない、知らされない。原子力発電所というものについても、ネガティブな情報も含めた正確な情報は学校でも社会でも教えてくれない。
知らないから平気。知らないから実感なんてわくはずはない。この川が汚れたら生活できないと実感できるのは、その川で洗濯したり、その川の水を飲んだりする生活をしいていれば当たり前に実感できる。家の風呂に汚水を入れるようなことはだれもしない、実感があるから。
これだけ食べものと切り離され、人と人もプライバシーというような言葉も借りて個別化が右肩上がり強くなっている現代日本。実感のない感覚が、様々なことをやっていく、圧倒的に、無神経に。
祝島は、島全体が家族のように共同体の雰囲気で満ち満ちていた。それはつながっているという実感であり、安心感であり、豊かさだ。海に実感を持ち、そこからの生活に実感を持つ人に、実感のないまま得体もなく進められる原発建設が勝てるはずはない。心の確信は、祝島の人たちが初めから圧倒的に勝っている。しかし問題は複雑で、上関原発建設を行う中国電力は法律的な問題をクリアして山口県知事の許可も取り、実際建設は現在も進められている。
反対側も、心の確信に立ったうえで、法律的にも対処していかないとどんどん工事はすすめられてしまう。
非常に多くの問題がある中,上関原発計画は進行しており,この問題について,多くの方々に知っていただき,実感していただきたいと考えています。
身近に実感できて初めて考えれるのでは(たとえば自分の家の隣に原発や産廃ができて初めて)ことはあっという間に進んじゃう。進めているほうは、なるだけスムーズに進むように情報を規制し、偏った情報(うそではないが一面的)を流したり、ほかの話題で注意をそらしたりします。
人は体験してなくとも、想像することで実感できる素晴らしい能力を兼ね備えています。原発はないほうがいいという意見が正しいとか正しくないとかではなく、それぞれが自分のレベルで実感することからしか始まらないと思っています。実感があるところから考え話すことができれば、このような問題はあっという間に解決するだろうと信じています。
それぞれに実感が持てる機会に、今の生活の中に実感が生まれるきっかけとなれればと、
映画上映 行います。
日時 2010年 1月16日(土) 場所 ワッカワーム 錦海寮(瀬戸内市邑久町尻海)
上映映画 「ぶんぶん通信NO1」「ぶんぶん通信NO2」
※「ぶんぶん通信NO3」が間もなく出来上がるようです。状況で上映内容変更の可能性があります。
その時はまたお知らせします。
開場13:00 上映時間 14:00 「ぶんぶん通信NO1」
15:30 「ぶんぶん通信NO2]
16:30 「ストップザ上関」
田の浦、祝島であったみなさん、ありがとうございました。とても楽しい時間でした。
祝おでんおいしかった。