今日1月26日は、旧暦の1月1日。正月。中国はどっと盛り上がっている日ですね。コタンで働いてくれているワンさん。岡山大学院で文学を学んでいる中国杭州の彼女もちょっと前から「あさって大晦日ですよー」とか「今日ですよー」とかちょっとずつテンションが上がっていた。昨日は遅くまで、インターネットで中国の大晦日番組(紅白とかくし芸が合わさった感じ?!)を見ていたそうで寝不足の出勤です。うれしそうでした。
日本では1872年(明治5年)に、従来の太陽太陰暦を廃して翌1873年(明治6年)から太陽暦を採用することが布告された。太陽太陰暦(天保暦)は明治5年12月2日(1872年12月31日)まで使われていた。その翌日の12月3日をもって明治6年(1873年)1月1日に改められ、グレゴリオ暦(太陽暦)に改暦された。改暦は明治5年11月9日(1872年12月9日)に布告し、翌月に実施された。この年の急な実施は明治維新後、明治政府が月給制度にした官吏の給与を(旧暦のままでは明治6年は閏6月があるので)年13回支払うのを防ぐためだったといわれる。太陽太陰暦は今なお占いや伝統行事などでは需要があり、旧暦もしくは陰暦の俗称で用いられている。
日本もつい135年ほど前までこのサイクルの中で生活し1年を感じていた。旧暦がより自然と共生する句読点になっているのか、その全体性を生きたことのない自分は想像と比較でしか感じられない。遠足が冬なのか春なのでその効果が大きく違うように、旧暦での新年行事やその他の祝日が自然と調和するものであれば、新暦移行、祭事の力は弱まり、足並みがばらばらになっているといえる。直結の自己生産から遠ざかった自給率後進国のこの環境で何を祝うのか、何を祝っているのかなどという理解はにごり、祝うことが目的となってしまった。交通機関やインターネットの発達、人と人、意識と意識の境界線も飛び越えたりなくなったりあらわれたりと複雑多様化している飽和状態。どれでずれたのかどこから始まりかの思考などで解決しないぶっつけ本番応用の現実。解決って何?。
新暦への改歴。明治維新後の意識改革、その時考えた国際化の前進として道だったし、それはあっという間に何か手放した瞬間だったんでしょう。この歴史から一つ言えるのは、今のこの環境や状態も永遠に当たり前なんかではないということ。当り前として思考停止した時に何か大事なものからピントがずれたりするものです。よくずれてます。
ハレ日のリアリティ、それは生命力。
今年もよろしくお願いします。